起業独立して12年。
今リサイクルショップを経営しています。
リサイクルショップと言っても、4年程前に再起をかけて元手20万円ほどで出張買取り・ネット販売(ヤフオク)のスタイルで開業しました。
初年度から年商は3,600万円、その後は1年のうち2,3ヶ月は稼働してないのですが3,000万円ほどに落ち着いています。
粗利率80%でちゃんと稼働している月は営業利益で7ケタを超えるお金を稼ぐようになりました。
が、元々はお世辞でも稼げるタイプじゃなかったです・・・。
起業・独立する前の性格がヒドすぎるくらいクズっていう・・・
起業独立前にくらべて性格は随分変わったと思いますが、元々明らかにデキが悪くて起業して上手くいくタイプじゃなかったです。
昔の自分を冷静に振り返ってみると大体こんな感じ↓↓↓
・集団が苦手でコミュニケーション能力が低い
・自分の好きなことじゃないと集中力が続かない
・物事を深堀して考えることが苦手
・自分の意見を上手く伝えることが苦手
・学力もない、人脈もない、お金もない、メンターもない
・得意分野もない、資格もスキルもない
・人見知りするし、新しい繋がりを作るのが苦手
・勉強もできないし、漢字も読めない
これだけ見るとヤバいですね。
自分で書いててもこんな奴が起業独立したいって言ったら「オマエは起業独立なんてぜってー無理だから黙ってサラリーマンやっとけ!このチン○ス野郎っ!笑」って笑いながら言うと思います。
なんか遡ってみたくなったので小学生くらいから思い出しながら書いちゃおうかなと思います。
小、中、高、大学の頃
小学校時代
授業中に優秀な人って手を挙げてちゃんと自分の意見を言ったりしますよね。
ぼく手なんて挙げた事ないですからね。
マジで記憶にないな・・・
席替えして、すごい出来る女の子が隣の席になったときに「あんたノートに書いてあんだから手挙げて言いなさいよ!」って言われてしぶしぶ手を挙げて意見を言ったことが1回だけあるだけです。
それしか記憶にない。
小学校低学年の頃は活発で、結構意見言ってたのに、3年生くらいからチキンボーイになってたんだよなぁ。
家庭環境が大きく影響してたと思うけど、うちはコミュニケーションがほんとに希薄な家庭だったのでそりゃそうなるよねって今振り返ると思います。
だから、低学年の時は勉強できてた気がするけど、高学年になったらめっきり成績悪くなっていったんですね。
年齢あがる、コミュニケーション力さがる、成績さがる、って感じでした。
なんでしょうね、、いじめられてたとか、自信がないとかじゃなかったと思うんだけど
コミュ力が低かったからみんなの前だったり先生に自分の意見を言うのが恥ずかしかったし、間違えたらどうしよっていうチキンメンタルになったので、ちゃんと意見言える人が羨ましかったですね。
そんな感じだったけど、唯一自分が優越感に浸れるのが体育の授業でしたね。
わりと運動神経が良くて体力テストではメダルをもらうくらいだったから、その時だけみんなの注目って感じでした。
垂直跳び65cm、幅跳び4m75cm(全国大会優勝レベル)、握力左右65kg、ハードル走一人だけ15cm高いっていう感じ。
それで運動神経が良かったので別にいじめられたりすることもなく、むしろ普通に性格は優しくて良かったと思うから友達にも好かれるタイプだったんじゃないかなと思います(きっと、そう思ってる・・笑)。
中学校時代
中学になっても基本的な性格は変わらず、頭の悪さも引き続きな感じで成績表はだいたい1、2、3しかなかったです。
サッカー部に入ってて上手いほうではあったけどパッとしずだったし、そのまま学力の低い高校に進学って感じでしたね。
中学3年の頃にはちょっと悪さをするようになり、一通りの悪いことは高校に掛けて色々とやってました。
しんなーしゃぶたいませっとうまんびきむめんきょけんか、、、
今はほんと真面目に見えるみたいだけど、いやほんと根はまじめなんですけど・・・
昔はまークズでした。
高校時代
それで高校はすごいバカな学校に行きました。
高1の時は男6女5人くらいで仲良かったんで、席替えしても席替えしてもその度に、「ねー、席変わってくんねぇ」って感じでみんな後ろの2列にかたまっちゃうっていうね。
1年間ずっと後ろの席を陣取ってるアウトローのかたまりの1人でした。
授業中に抜け出してコンビにいくし、まんが読むし、よだれ垂らして寝るし。
悪い高校ってそんな感じですよね。
登下校の時間なんてあってないようなものだったしね。
夏休みになると家にしばらく帰らなかったり、週末は友達の家に泊まりに行ったり。
70kmくらい離れた海水浴場まで友達の親に送ってもらって、自転車ぱくって8時間くらいかけて友達3人で帰ってきたり。
あ、そうそう、この日に発見したことは、「コンビニってこんなに多いんだ!」っていうどうでも良いこと。笑
最初の1時間くらはいめちゃくちゃ楽しかったけど、残り7時間は苦痛以外の何者でも無かったことを鮮明に覚えています。
この頃は、父親とも仲が悪く、中退するかしないか、みたいな感じでしたね。
「寮つきの仕事(ドカタとか鳶職)探して家から出てけ。」という状況だったので。
ただ、高2くらいになってからは心が入れ替わったんだけど、そのキッカケは体育の先生と伯父さん。
伯父さんは高校中退してるんだけど、その伯父さんに「【卒業】の2文字は一生付いて回るからビリでも良い卒業しろ。」って言われてね、この一言は大きかったです。
きっと中退してたと思う、伯父さんにこの言葉をもらってなかったら。
あと、体育の先生で、今のジュビロがJリーグ発足前の社会人チームのヤマハだった頃に活躍してた人がいて「お前大学に行ってちゃんとサッカーやってみたら?」と言ってくれました。
体育の授業でサッカーしたり、テニスコートの半分しか練習スペースがない弱小の稼働してるかしてないかわからないくらいのサッカー部にたまに顔を出してたので、その様子を見て言ってくれたんですね。
プロに行くような人もいる地元の大学だったんだけど、そこを目指して勉強もテスト前はちゃんとしたのでなんとかその大学に進学できたんです。
大学時代
そんでそんで、大学になると、友達の質が違いすぎてまずビックリ。
みんな真面目すぎてほんとに馴染めなかった。
サッカー部なんて友達できなかった。
交通事故おこしたり20万円の部費の捻出のこともあったけど、この馴染めなかったことが自分の中で一番でかい。
サッカーは好きだったし、日々上手くなっていく自分にも充実感を感じてたし、練習して、授業受けて、バイトして、自主練してって、睡眠4時間とかで追い込んでやってたんですけどね、ただ馴染めなかった。
そして、辞めた。
なので、この時の選択というのは、今になっても後悔しかない。
泣きたくなるくらいの後悔しかないな。
高校もサッカー部所属の7割がた帰宅部だったし、やりきった感が全くないままサッカーやめちゃいましたからね。
だから、コミュ力が低いってほんと損するなぁって今振り返ってみてもすごい思います。
この時の後悔の気持ちは一生根深くぼくの心に残るんだろうなって感じ。
ただ、クズ野郎だったけど、まじめに物事に打ち込み努力をすれば上手くなるって身体で日々感じ取れたのはめちゃくちゃ大きかったです。
それに、自分って向上心があって努力ができる人間なんだなぁってなんとなく理解できましたね。
「努力は裏切らない」そう思えた。
卒業後に2年間ブラックレベルMAXの会社で社畜になる
就活の頃、どんな仕事が向いてるのかなぁ?なんて考えてました。
それでその頃から、クズ野郎の自分がビジネス書を読むようになったんだけど、始めてコンサルタントという職業を知り、コンサルタントに憧れることになります。
ちなみに、その時に読んだ本がこれ↓
「モノ」を売るな!「体験」を売れ!
―エクスペリエンス・マーケティングがあなたの会社を救う!
コンサルタントって仕事知らないとかビックリですよね。
あ、思い出した。
高校の頃友達と話してて、洗脳っていう言葉が出てきたんだけど、「せんのうって何?」って言ってました・・・。汗
あと、「りょかくきって何?」(旅客機)とか「かせんじきって何?」(河川敷)とかね。汗
学力低いから会話の中や本読んでても、ほんとによく解らない言葉が多かったです・・。笑
おっとっと、それでコンサルタントって関わる会社や人やお店が良くなっていく、良くしていく。
そういう感じじゃないですか、だから努力と向上心という武器を持ったぼくとしてはすごい魅かれたんですよね。
コミュ力低いクズ野郎だったけど。
なんか武装して強くなるようなイメージでね。
関わる人とみんな一緒に。
それで大学卒業後は東証マザーズに上場している飲食店のコンサルタント会社に就きました。
年俸制の会社で休みをとってもとらなくても350万円。
それで、なにがどうなったのか入社2ヶ月で直営店を任されてしまい、クズ野郎のぼくはとても疲弊しました。
(きっと期待されてのことだったと思うけど。)
というのも、1ヶ月に2日休みがあるかないかで1日16時間労働は当たり前。
ひどい時は21時間労働で3ヶ月休みなし。
この時ほんとに死ぬんじゃないかってくらいキツくて「歩きながら寝てる」ってスタッフに言われるくらい、ずーっと眠さと疲労との戦いでした。
立ち寝なんか毎度です。
サッカーで体力あったから良かったけど、ぼくじゃなかったら多分だけど死んでたと思うよ。
マジで。
その分メンタルも強くなったけどね。
ただ、半分は崩壊してました。
ぼくが21時間労働している時に女性スタッフとデートのような買い物行っちゃう上司とウマが合わなかったり、同じ部署のチームの人とウマが合わなかったりも加わって。
というか、コミュ力が低いから合わせられなかったっていうのが大きいな。
いずれにしても、この会社の中でぼくは一番きつい現場への配属が続いたんだけど、その反面この2年間の時間が今の自分を形成していると言っても過言ではないです。
「こんなに働けるんだ、おれ」っていう変な自信にもなったしね。
2年で退職、そして起業独立の道に進む・・・強くなりたいっていう気持ちだけ
ただし、逃げるように辞めたのも事実。
って言うのも、メンタル崩壊してたし、とにかく疲弊してた。
だから、辞める理由があったらすぐに辞めちゃうくらいガラスのハートになってたんですが、お店に来店したお客様に、一緒にお店をやろうって声を掛けてもらったんことをキッカケに辞めたんですね。
ガラスのハートが一瞬にして崩壊しました!笑
それで、会社を辞めて居酒屋をやるために約2か月くらい時間を掛け、物件探し、店のコンセプト作り、メニュー作り、損益シュミレーションなんかやってました。
が、結果的には全て無駄に終わりました。
借り入れなんかも出来なかったしね。
それで「あ~、、会社辞めちまったし、この先どうしよう」って頭の中グルグルしてたんだけど、再就職をするのか?自分で何かを始めるのか?という2択で、何かを始めると決意しました。
ここで再就職なんて選択は全くなかったです。
お金無いし、お金を稼ぐスキルや資格もないし、コミュ力もないし、人脈も何も無い、飲食以外の経験もない状態だったので、なんもできることなんて無かったので再就職という選択が普通だったと思います。
ただ、またあの糞上司みたいな野郎の下で時給換算したら400円もない社畜生活やること考えたら「たとえ失敗しても一度だけチャレンジしてみても良いんじゃね?!」
「最悪バイトでもしやー1,000円は稼げるし。」って感じでした。
あと、根底には、とにかく強くなりたかったんですね。
強くなって自分で稼げるようにならないと。という何と言うか焦りというかそういう気持ちもありました。
自分はわりと努力家だと思えるようになってたし、コミュ力は低いけど仕事はできるほうだと思ってた。
ただ、労働時間、環境、人と合わず、リーマン時代は自分の中でダメな感じで、そのまま退社。
これが自分の中でめちゃくちゃ引っかかってました。
「俺なら出来るだろ!ナメてんじゃねぇ」っていう気持ちがあったんで納得いってなかったんですよね。
だから、試したかったのかもしれませんね、今思うと。
それに、自分で言うのもなんだけど、わりと性格が優しいし、人の態度や言葉から色々敏感に感じるほうだから、あんまり一緒に働きたいって思えなくなっちゃったんですよね、人と。
とくにその会社なんてコンサル会社だから、結果出さなきゃクズだろ、やり抜くことができなきゃカスだろ、って感じの風土がありましたからね。
なので、こういった理由で再就職なんて選択は1ミリもなかったし、とにかく「強くならないと」「自分で稼げるようにならないと」っていう焦りと緊張感がありましたね。
それで起業独立の道に足を踏み入れって感じです。
こうやって振り返ると、起業・独立ってひょんなことからやってきますね。

金なし、コネなし、人脈なし、資格なし、スキルなし、コミュ力なし、とにかく無い無いづくしで起業独立してみた
始めたのは便利屋
とにかく何もなかったんで、何が出来るのか?
っていうイメージが全くありませんでした。
というのも、社会性の身に付かないような家庭環境で育ったので、メンタルやコミュニケーションはもちろんだったんだけど
世の中にどんな職業があるのか?さえも良く知らないような若造でしたからね。
起業や独立してお金を稼ぐなんてイメージも糞もなかったわけです。
本屋に通ってひたすら何が出来るのか模索・・そして便利屋という職業を見つける
そんなこんなで、この時期は本屋さんへ行っては起業・独立コーナーでどんな商売があるのか立ち読みしたり、ネットサーフィンで「お金 稼ぐ」なんて検索してましたよ。笑
自分に何ができるのか?を模索の日々が続きました。
そんな時に出会ったのがコチラの一冊の本。↓↓↓
稼げるかどうかは別として「こんな簡単に始められる仕事があるんだ!これしかない!」って思ったのを今でも覚えています。
というか、何も出来ないのに出来ると思ったのは、自分に出来ないことは電話帳でその都度業者を探して依頼していけば良いって考えでした。
なんともズルガシコイ!
(今となっては便利屋さんって普通だけど、当時はまだ便利屋という職業が今のように認知されておらずまだまだマイナーな職業でした。)
「何でもやります!」というスタイルの便利屋だったけど、出来ないことは電話帳で業者を探して振っていくつもりだった。
便利屋開業に掛かった資金はビックリ仰天たったの1万円
便利屋をやることになったのは良いけど、まずは集客をしなければ何も始まらないので、エクセルのワードアートでチラシを適当に作りました。
もちろん、チラシなんて作ったことはなかったし本なんかで勉強したこともないので、その時のチラシもデータも残していないですがそれは酷いものだったと記憶してます。
それでB5サイズのチラシを作って、1万枚のモノクロ印刷を9,000円ほどでしてポスティングで集客を始めました。
嘘だと思うような笑っちゃう話ですが1万円以下で起業独立したんです。
もうこのあたりから、脱・クズって言えるかなと思います。笑

あとはポスティングをひたすら自分でやって集客しました。
自分の作ったチラシで問い合わせが来るかどうかなんて全くイメージが湧かなかったので、なるべくチラシを見られないように、人目に付かない夜中にひたすら撒いていました。
チラシも作ったことなかったし、チラシ作りの本を読んだこともないし、反応率は酷かったと記憶してますが、1万枚撒いて5~10件くらいは依頼があったように覚えています。
撒くのは日によって撒いたり撒かなかったりでしたが、確か夜中に1,000~2,000枚くらい撒いていたと思います。
・エクセルのワードアートで自作で作成=コスト0円
・B5サイズのモノクロ印刷=1万枚9,000円ほど
・集客は自分でポスティング=0円
→反応は1万枚で5~10件
ビジネスマインドも確立できていない、元クズのド素人が便利屋を始めてどれくらい稼げたのか?
反応が取れて仕事が入るようになった時には本当に嬉しかったです。
特に最初の仕事は今でも鮮明に覚えていますが、普段はなかなか行かない隣町で一軒家を中心にポスティングをしたところでした。
仕事の内容は枝木伐採。
この仕事が入ったことをキッカケに時間が空いた時はポスティングをどんどんして、仕事を獲得していきました。
車は当時トヨタのステーションワゴン乗っていたのですが、必要であれば軽トラをレンタルしたりしましたね。
ぱらぱらと仕事が入るようになると、ポスティングがあまり出来なくなってしまうので、集客活動と実働とのバランスが難しいなぁと感じたのを覚えています。
ただ、この当時ぼくの周りにはニートやフリーターがいたので、そんな仕事の悩みはさておき、遊びぶ時間もめっちゃ確保してましたね。笑
1ヶ月通して15日間くらいしか仕事していなかったんじゃないかなと思います。
それでも、このままじゃまずいと思い、便利屋を始めた4ヶ月後くらいには奮起してポスティングしまくって1ヶ月で70万円くらい稼いでいました。
真面目にポスティングすればこれくらいは稼げた感じです。
元クズのコミュ力なしでも「お!やれば出来んじゃん!」って感じで調子こいてましたね。

ちなみに、どんな仕事が多かったのか?
というと、圧倒的に不要品の処分が多かったです。
この不要品処分は法的にグレーゾーンではありますが、ちゃんと処分先を確保して集客できれば今でも結構稼げます。
他に、探偵の仕事など色々と自分で出来ない仕事もありましたが、そういうのは全部電話帳で調べて他の業者に振ってなんとかやってました。
今思えば便利屋を辞めたことは勿体なかった
その後、結局便利屋を辞めたんですが、辞めた理由は、継続的に安く処分できるところを確保できなかった、土場が必要になった、トラックが必要になった。
っていう理由です。
少しの努力でクリアできたと思うんだけど、便利屋の収入レベルに頭打ちを感じたのと、他の仕事もしたくなってしまったのことが大きかったですね。
当時はまだ若かったし、他の仕事をやってみたいと思ってしまったし、ほどほどのところで辞めてしまいましたが、今思うと勿体なかったなぁと思います。
今ならもう少し仕組みをちゃんと作って、人に任せるなどして収入の柱の一つにしておくという選択をとっていたと思います。
ただ、なによりド素人ながら起業独立して少しだけ自分で稼ぐ経験できたのは本当に大きな収穫でした。
これもやっぱり最初の一歩を踏み出したからこそなわけだけど、最初の一歩って意外と簡単。
1ヶ月70万円稼げた便利屋を辞めての教訓
・自分がやらないとしても、ポスティング業者を使う、他の業者に仕事を振るなどして継続するべきだった
・ビジネスを継続しておくことでキャッシュポイントを複数作ることが出来た
・オーナー、社長という立場で何とか継続できないか考える必用があった
・何年か続けて、形と実績を作ってバイアウトするのも一つの方法
その次は中古車輸出をやってみる
またまた、次に何しようかなんて全く考えてませんでした。
ただ、色々とネットで調べたり、本読んだりで、リサイクルや海外に興味が湧いてきたのはこれくらいの時期からです。
元々コミュ力なし頭悪いクズだったけど、大学出るくらいから本を読むことが好きになり、色々な本を読んでいるうちにこれからの日本経済や世界経済について考えると海外に目を向けたくなったからって感じです。
またしても、右も左も解らないままビジネスを始めました。
集客は海外のポータルサイトトレードカービューを利用したので、やろうと思えば誰でも中古車輸出ビジネスって始められるものでした。
ただ、未経験な上に車の知識もほとんど無いし、貿易の知識もない、おまけに英語も喋れないのに始めたので当然最初は上手くいきませんでした。
3か月くらいは何をやってもダメで無収入・・・。
むしろ在庫なんか抱えちゃってね、赤字の状態でしたよ。
でもどうにかこうにか試行錯誤していると、無在庫で海外のバイヤーからオーダーを受けてからアイオークで仕入れて販売するというサイクルを作り出すことが出来たので、なんとか3か月目くらいから売り上げを立たせられるようになったんですね。
それからは、そのやり方で暫く続けていき、良い時は1ヶ月で15台くらいを売ることが出来、100万円くらいの利益を出しました。
その年は確か年商で5,000万円くらい。
最初に取引したバイヤーさんの購入車両とやりとりしていた最後のメッセージ




中古車輸出をやってみての教訓
・英語が出来ないのに中古車輸出で形を作るのは現実的ではなかった
・車の知識もほとんどないのに車業界に参入したのは続かなかった一つの理由
・参入時に為替について考えていなかったから為替の変動に対して回避できなかった
一方・・・
・海外についてより興味を持つことが出来た
・海外との取引きの楽しさを知った
その次は中国輸入転売や中古自転車カンボジア輸出をやってみる
その次は中国輸入転売をやったり、中古自転車カンボジア輸出をしたりしました。
実際に中国に行って仕入れしたり、カンボジア行ってバイヤーさん見つけて。



その次はアフィリエイトをやってみる
そんなこんなで、いろいろと物販ビジネスをやってきました。
ただ、集客をポータルサイトに依存してたり、為替リスクがあるビジネスだったりで、あんまり美味しい時期を享受できませんでした。
それに自分自身で集客やマーケティングが出来るビジネスモデルを作らないといけないとも感じていました。
そして、ここでようやくネットビジネスの素晴らしさに気がつきアフィリエイトをやりました。
あるアフィリエイトの塾に入って、ひたすらアフィリエイトサイトを作り続けました。
来る日も来る日もサイトを作り続けて、気が付いたら1週間家から出ていないなんて日もありました。
元クズだったけど、この頃になるとビジネスマインドもある程度形成されてきてて、やると決めたらとことんやるって性格になってました。
なので、冗談抜きでご飯とトイレ以外はほとんどパソコンに向かっていた記憶があります。
しまいには、腱鞘炎になり、蛇口をひねるのも出来ないくらいになっちゃいましたね。汗
しかし、その甲斐もあって、アフィリエイトを始めて2か月が終わる頃には報酬が発生し始めました。
3か月目には20万円くらいの確定報酬が、4か月目には30万くらいの確定報酬になっていました。
しかし、グーグルのペナルティによってほとんどのサイトが飛んでしまい、サイトアフィリエイトの難しさを痛感したのが6か月後くらいでした。
10数万円と少なかったですがアフィリエイト報酬が放っておいても発生するのを良いことに、メルマガアフィリエイトなんかもその頃に始めましたね。
もうここからはノウハウを買ってはやらず、スクールに入ってはやらず・・・
サイトアフィリエイトもそこそこにノウハウコレクターまっしぐらでした。
650万円をファンド入れてたら投資詐欺だった→支払い毎月50万円の借金生活に突入
そんなこんなで、アフィリエイトで生活してた時期に、貯金500万円を知り合いの投資ファンドに預けていたんですが
その会社が資金を溶かし、自己資金500万円+知人のお金150万円を失いました。
今思うと計画的な投資詐欺だったなと思います。


これを機に見事に借金生活に突入です。
アフィリエイトでの毎月20万くらいあったんですが、借金の返済も含めて毎月の支払が50万くらいだったので、アフィリエイトの傍らバイトを掛け持ちして・・・
給料が銀行口座に入ったその日に出ていくっていう。
右から左へ、ピューン・・・って。泣
今でこそ普通に話ができるようになったけど、支払に追われる日々はマジでキツイ。
月末が迫ってくるとマジで吐き気して胃がキューンてなってきますからね。汗
そして、この借金生活の時からアフィリエイトからは離れちゃったんですが、その間にもアフィリエイト収入は何もしていなくても毎月10~20万円くらい、年間150万円ほどありました。
なので、アフィリエイトって本当に資産になるし、やればやっただけの見返りがるから素晴らしいビジネスだなぁって心底思いますね。
なんとか2年で借金を返し終わったんで、またアフィリエイトを始めたかったんですけどね、ただ、アフィリエイトはキャッシュフローが遅い・・。
それが難点だった。
なので、20万くらいしか無かったので、その資金でキャッシュフローが早いリサイクルショップを始めたって感じです。
むかし便利屋をやったから、家庭に不要品があるって予想できてたし、リサイクルは時代背景を考えても追い風だったので波に乗れるだろうなぁっていう勝機は感じていましたね。
それで、いま4年目で今もなお稼ぎ続けているって感じです。
リサイクルショップを始めた当初のことについてはコチラ↓
▶︎借金650万円から再起をかけて元手30万円で出張買取りリサイクルショップを開業=初月利益100万円超【時代の波に乗れるから簡単だった
お金を稼ぎたいけど何したら良いかなぁ??っていう人へ
ぼくはアフィリエイトのようなネットビジネスも良いなと思うんだけど、
・思うように稼げてなくて、起業・独立の世界から退場寸前の個人事業の人・・・
・起業独立したのは良いけど毎月の生活がいっぱいいっぱいの人・・・
・せどり・転売、アフィリエイト、色々試したけど全然稼げない人・・・
・お金持ちになりたいと思って起業独立したのに全然稼げていない人・・・
・本業の調子が悪いから他に収入の柱を作らないといけない人・・・
・難しい事をやっている余裕がなくて、素人でも早く結果が出せるものを探している人・・・
・借金の支払いに追われていて何とか立て直さないといけない人・・・
は、キャッシュフローの速いリサイクルビジネスはマジでおすすめだと思ってます。
クズ野郎でも人生逆転してるわけですからね。笑
それに、ネットビジネスやってる人なんかだったら、早く結果のでるリサイクルやってから情報発信なんかしても良いだろうしね。
きっと爆発すると思います。笑
PS.
今の時代ってどうでしょう??
会社に勤めていても、社畜という言葉があるように
自分らしさを失ってしまったり・・・
給料がなかなか増えていかなかったり・・・
会社そのものの将来がどうなるか解らなかったり・・・
こんな時代です。
反面、その一歩外には、転売やネットビジネスで自分のやる気と努力と行動でどれだけでも稼ぐことが出来る時代ですよね。
上手くいけば、収入の面でも、時間的な面でも、人間関係の面でも、場所の面でも束縛されることはありません。
ただ、それらを手に入れようと思い行動したとしても、失うものってほとんど無いですよ。
立ちはだかる壁はいつも【最初の一歩だけ】で乗り越えられんです。
一歩を踏み出せば新しい何かが待ってるわけだけど、踏み出さなきゃ足踏みしてるだけ。
足踏みしてたって靴底は減っていきますからね。
PPS.
きっとこのブログを読んでくれている方は、これから、起業・独立して稼ぎたい、変わりたいと考えている人なんじゃないかなと思います。
なので、そういった方に何かのキッカケになれるようなブログを書いていこうと思っています。
ここまで読んで頂いて「こいつ、まあまあクズだったんだな」ってご理解頂けたと思います。
今になって思うとクズで勉強できなかったとしても、行動して、経験積んで、痛い目見て、努力して、上手くいくように模索して行動していけば稼げるようになるんだなぁって思ってます。
そして、こういったところをほんとに人に一番伝えたいところだったりする。
稼げるイメージがより具体的にわくようにメルマガで大切なお話をしていきますね。
登録しておいて下さい。
加藤寛敬のメールマガジン【世界一堅実・再現率100%のオフラインビジネス】
稼いで釣りでも行こー!

結果が出せなくてウズウズしている
起業難民のあなたへ緊急のご案内!

スキル・経験まったく無しだったにも関わらず、初月から月100万、初年度3,600万を達成した 勝ち組になるための弱者が逆転した起業法を今すぐチェックして下さい!
小資金から始める【無店舗型】
出張買取リサイクルショップ
で勝ち組になるための
起業の教科書をプレゼント


はじめまして、こんばんは。
ブログ拝見させて頂きましてかなり感銘を受けまして、
メルマガを登録しようとしましたが、出来ませんでした。
現在はメルマガはされていないのですか?
また、コンサルにも興味が有りますので、
何かご連絡等取れる方法などありましたら
よろしくお願い致します。
こんばんは。
メッセージありがとうございました。
メルマガ登録フォームから登録できると思うのですが出来なかったですか?
メルマガを配信できていないので、しばしお待ち頂ければと思います。
コンサルについても企画して早々にご案内できるようにしていきます。
引き続き宜しくお願い致します。